はじめに
オーストラリアについて書かれたガイドブックやYouTuberの動画でもオーストラリアへ来てAC/DCを紹介している物ってあまり見かけないと思いませんか?
最近AC/DCの「Through The Mists Of Time」のYoutube動画を見てちょっと熱くなってしまい、この感動を皆さんと共有したくて・・・。
今回はオーストラリアに興味のある方に、カンガルーやコアラ、美しい自然に加え「あなたの知らないオーストラリア」を少しでも知ってもらえるようにがんばって書いてみます!🫡
そ・の・ま・え・に😅
AC/DCって何?っ人もいるかと思います。「そもそも興味ない」って人もいるかと思いますので、無理やり短くして書きます。興味がある方はそのあと読みすすめてみてください。
いかがでしょうか? もし興味があればこれから彼らの魅力について語ってみますので、ぜひお付き合いください。
とはいえ、AC/DCの魅力はブログの1記事で語れるほど簡単ではありません。結成から現在に至るストーリーを書き始めると1冊の本にでもなりそうなボリュームです。今回はAC/DCと私の住む西オーストラリア州のつながり。みたいなものを意識して書いていくことにしました。
逆にAC/DCファンの方にとっては不十分な内容となってしまったかもしれませんが、それはまた機会があれば記事にしてみたいと思います。
それでは、いってみましょう!
この記事を書いてからフリーマントルまでボン・スコットの銅像の写真を撮りに行ってきましたぁ!!
下記記事内に追加しました。
AC/DCの誕生と特徴
バンドの中心人物であるアンガス・ヤング(リードギター)とマルコム・ヤング(リズムギター)兄弟は、スコットランドから1960年代初頭に家族とともにオーストラリアのシドニーへ移住。バンドは1973年に結成されました。現在のボーカリスト、ブライアン・ジョンソンが加わった1980年まではボン・スコットがその役割を果たしていました。
AC/DCは世界で最も偉大なロックバンドの1つです。今も現役ですが、バンドは伝説化するほどの存在です。彼らの音楽は荒々しいギター・サウンドを特徴とし、そのエネルギーはオーストラリアのパブ文化と完全に融合し、現在のライブパフォーマンスでもそのとてつもないパワーと臨場感を感じることができます。
リード・ギターのアンガス・ヤングはいつも象徴的なスクール・ボーイの姿でステージに登場。マルコム・ヤング(リズムギター)の力強いギターリフ、天を割くようなアンガスのギターサウンド、そこにボーカリストのボン・スコットの歌声が加わり労働階級の人々を虜にしてしまったようで、多くのファンから共感を得ました。
オーストラリアの人々にとってのAC/DCとは何なのでしょうか?
オーストラリアではフットボールやクリケットといったスポーツはとても人気があります。そういったスポーツイベントではAC/DCの曲、「Thunderstruck」や「For Those About to Rock」が流れることが多く、観客が一斉に拳を突き上げます。
ここまでオーストラリアの人々の文化に浸透している理由は先に書いたパブ文化とAC/DCの初期の頃、ボン・スコット時代にヒントがあります。
初代ボーカリストのボン・スコットが書く歌詞は、「ストリートの詩」と評され、労働者階級の人々が日常で使う言葉で書かれていました。巧妙で、ありのままのリアルな言葉は、多くの人々に強く共感されました。
彼がボーカルを務めた70年代、多くの若者たちがその時代の文化にうんざりしていて、そこにAC/DCのような激しいギターサウンドと反抗的な歌詞が、まさに多くの人々の心情を代弁したようです。
そして70年代のオーストラリアでは「カウントダウン」という人気を誇る歌番組があり、AC/DCがまだ世界的に有名になる前にオーストラリア国内で一気に知名度が広がったというのです。(ちなみに「カウントダウン」は日本で言う「ザ・ベストテン」のような番組だったらしいのですが、この記事を読んでる方でザ・ベストテンをご存知の方がどれくらいいるのか・・・😂 とにかく、インターネットなんて存在しない時代に家族みんながそろってお茶の間で見る歌番組です。)
同時期にバンドはイギリスやアメリカでも活動。そこでも彼らの音楽は多くの人を魅了し、1979年に発売されたアルバム「Hightway to Hell」が世界的なブレークとなります。
翌年1980年2月にボン・スコットは突然の死を迎えてしまいます。そしてバンドは今のブライアン・ジョンソンを迎え入れます。
同年1980年に追悼アルバムとして「Back in Black」を発売。これが先に述べたマイケルジャクソンに次ぐアルバム売上記録世界第2位のモンスター級作品となるのです。
まだまだ彼らのストーリは尽きませんし、その後も続きますが、このような流れでバンドは歴史に名を刻むことになります。
この記事のトップの写真は1991年に発売されたライブアルバムです。付属しているライナー・ノーツから、メタルゴッドこと音楽評論家の伊藤正則氏が書かれている内容を一部抜粋して紹介してみたいと思います。
“ 生き続ける古典であり、時代を伴走させてしまう圧倒的な力を持つAC/DCは、常にロックンロールの原点としての凄みを放ち続けてきたのである。多くのバンドは、AC/DCのロックアティテュードに触発され、彼らの勇気から様々なことを学び取ろうとした。妥協を許さない精神力、音楽に対する純粋な心、強靭な意思・・・。誰もがAC/DCに憧れ、誰もがAC/DCを夢見てきた。”
彼らはデビュー当時から一貫して音楽の方向性にブレがないバンドです。昔の曲も今の曲もライブで演奏すればどれも方向性が同じだということに気が付くと思います。
ゆかりの地、フリーマントル港町
西オーストラリア州の港町フリーマントル。
コーヒーの香り漂うカフェや歴史的建築が並び、インディーズ音楽が流れる街角。
この小さな街は、世界最強のロックバンドAC/DCの物語と深く結びついています。
ボン・スコットはボーカリストとして1974年から亡くなる1980年までAC/DCのボーカルを担当していました。彼もスコットランド生まれですが、1952年、5歳の時に家族とともに移民として西オーストラリアへ移住してきたようです。その街がフリーマントルだったのです。
AC/DCに加入してからバンドが成功して世界中をツアーするようになっても、彼は安らぎを感じる場所としてフリーマントルに戻りたいと話していたらしいのです。両親も近くに住んでいて、フリーマントルは彼が最も心地よいと感じる場所だったようです。
現在フリーマントルのFishing Boat Harbour沿いには彼の功績を称える「ボン・スコット像」が建てられていて、世界中のファンが訪れる巡礼地となっています。行ったことのある人はその銅像を見たことがあるのではないでしょうか?
ボン・スコットを知らないと「アンプの上に立ち、マイクを握りしめ、カラオケ大好きで、小さい細いおじさん」の銅像。と思うかもしれませんが(笑)、偉大なロックバンド、AC/DCのボーカリストの人なのです‼️🫡
彼の伝説は時とともに大きくなり、今でも多くの人々に最高のロック歌手として記憶されています。
フリーマントルに行く機会があればせひ彼の銅像に敬意を払い、一緒に📸記念写真を撮りましょう。

そしてフリーマントル墓地にはボン・スコットのお墓があります。今でもファンが世界中から訪れ、花やギターのピック、缶ビールなどを供えます。
この記事を書いている2025年10月時点、フリーマントル墓地の「Heritage Walk Trail」にはしっかりと彼の墓地の事が書かれてあります。詳細こちらをご確認ください。
ここでは2020年3月に西オーストラリア州のパースからフリーマントルで行われたAC/DCの大規模イベントについて紹介してみたいと思います。
このイベントはボン・スコットの死後40年を記念して行われたイベントです。パースからフリーマントルへかけてCanning Highwayを約10キロに渡り閉鎖。午後1時から夜にかけて行われました。
たくさんのトレーラ・トラックの上でアマチュアバンドなどが演奏しながら練り歩くという超大規模イベントでした。プロのバンドも出演しており、日本からは少年ナイフも参加していたようです。
こちらは当時のニュース記事と写真(ABC News)。
このイベントが開催されると聞いた時は、「本気であの長い距離、主要道路を閉鎖してAC/DCのためのイベントやるの!?」と思いました。でもそれだけAC/DCがオーストラリアの文化に溶け込んでいる証拠なんだと改めて思い知らされました。当時の様子をYouTubeで見つけましたので、どんなイベントだったかぜひご覧になってください。
映像を見るとわかりますが、子供から大人まで、年齢を問わず皆さんイベントを楽しんでいます。西オーストラリア州知事さんもAC/DCのTシャツを着てインタビューを受けていました👍
いかがでしたか?いかにAC/DCがオーストラリアの人々と深く結びついているかが分かるのではないでしょうか。
ちなみにこのイベントではAC/DCの「Highway to Hell」に合わせてエア・ギターのギネス世界記録チャレンジも行われました。その様子もこちらで見れますのでぜひご覧ください。
AC/DCこの2曲
ボン・スコット時代の代表曲です。彼の故郷フリーマントルをテーマに書きましたので、観客のいるライブ映像のリンクをご紹介しようか迷いましたが、彼の声でぜひ聴いてみてください。オーストラリアでこの曲を知らない人っているんですかね?それくらい有名な曲です。
この記事のトップの写真の2枚組のアルバム、1991年にイギリスのDoningtonで行われた「Monsters of Rock Festival」からの映像です。スポーツイベントなどでも使われる有名な曲ですね。今年2023年に公開された「Super Mario Bros. Movie」でも使われていましたね!
AC/DC のグッズ
オーストラリアへ住んでいる人、またはある程度長期で滞在している人であれば、街中でAC/DCのバンドのTシャツを着た人を見たことがあるのではないでしょうか?
しかも男女問わず、子供から大人サイズのものまで、デザインにこだわらなければ以外に簡単に手に入ります。いかにも”ロック”という黒をベースにデザインしたものだけでなく、ティーンエージャーくらいの女の子や小さな子供が普通に着ることのできるカラーやデザインもあります。
BIGW、Kmart、Targetでも買えることから、我が家でも子供が3歳くらいの時には1枚持っていました。(残念、まだ残ってたら写真を撮ってUPしようと思ったんですが、すでにお友達にあげてました。)
日本で言えばイオンに行ったら帰る。くらいのノリでこちらでは簡単に買えます。
今、ネットで検索したらものすごい数とデザインでした。
オーストラリアへお越しの際はお土産の1つとして買って帰るのもいいと思います。家族やお友達にはちょっと・・・というのであれば自分用に1枚か2枚いかがでしょうか?😊
あとTシャツも含め、公式サイトもありますので、こだわりがあればこちらで購入することも可能です。
シドニーも
ここまで読んでいただきありがとうございました!
少し補足を加えて終わりにしようと思います。
今回は私が西オーストラリアに住んでいることもあり、ボン・スコットが育ったフリーマントルをテーマにして書いてみました。バンドの結成はシドニーでオーストラリアでは東海岸。パース、フリーマントルのある西オーストラリアからは大陸の反対側です。
シドニーはバンドの結成からキャリアの基盤を築いた場所。そしてヤング兄弟が育った場所でもあります。
フリーマントルへ来れなくても、シドニーにお住まいの方や旅行で訪れる機会があれば、彼らのルーツを巡る旅をしてみても十分に楽しめるのではないでしょうか。
2024年12月、ヤング兄弟がスコットランドから移住してきて住んでいた自宅が取り壊されたようですが、市議会はAC/DCの歴史と重要性を理解し、その自宅横にヤング兄弟の壁画を残しました。こちらが市議会のサイトからのリンクです。
2025年 11月と12月 はオーストラリア国内ツアーです。
この記事を書いている2025年9月現在、AC/DCは11月と12月にわたり「POWER UP TOUR」としてオーストラリア国内主要5都市で公演が決定しています。メンバーはすでに70歳を超えてきていますので、これが最後のツアーになるのではないでしょうか。すでにチケットは完売しているようですが、チケットが手に入らなくても当日は会場のそばに居るだけでその雰囲気が感じられることと思います。
ちなみに私はチケットを手にいれました~🎉
病気やケガにでもならなければ、この目で彼らの伝説を見てみたいと思います。
⚡それではまた!